記号化

『他力本願』(押井守)を読んだ。
                           
内容は、押井氏が手がけてきた作品を振り返ってみて
その時その時の内情を説明した半生記なのだが、
個人的には映画産業、アニメ産業の記号化についての説明が面白かった。
                              
手塚治虫氏が自分の作品について、
「記号化の集まり」であるようなことを告白しているのは知っていた。
でも、手塚氏の説明からは、
記号化って、キャラクターの表情や背格好に応用するものだと勝手に思い込んでいた。
                   
でも、マンガやアニメなどでは背景や時間の表現など
すべてに記号化が使われていることを、『他力本願』を読んで知った。
アニメで記号があふれる理由は、デッサン力不足を補うためだったそうだ。
                  
・子どもたちが遊んでいるという描写には、空き地で野ざらしになっている土管。
・空き地境界には有刺鉄線。
・「カランコロン」と鳴る時計台は、学校。
などなど、枚挙に暇がないそうだ。
                      
また、アニメではデッサンの力不足を補うために
キャラクターを色で塗り分けるということも多用したという。
              
アニメの描写に限らず、普段気づかないで過ごした日常の中にも、
記号として無意識に反応してしまっていることが、多々あると思う。
                            
そのような見過ごした一つ一つを拾い上げてみると、
新しい世界が見えるのだろうか?