久々に「ほぼ日」から。
糸井氏が、周防監督・草刈民代氏と
ダンシング・チャップリン』について対談している。
             
  糸井 機械に頼れる部分をちょっとでもあてにしたら、
      ガタガタガタっと崩れそうな話ですね。
  周防 ぼくはこの映画に限らず、ひとつ
      自分に言い聞かせていることがあります。
      「編集でなんとかなるとは思うな」
      「現場がすべてだ」
      ということです。
      だって、結局のところ撮れた画しかないんですもん。
      編集でなんとかすると思ってやってると、
      どんどん崩れていっちゃうから。
  糸井 いまはあらゆる映画が絵コンテをどう再現するか、という
      アニメのようになっているところがあるでしょう。
      現場で考えなくてもできるようになってますよね。
      これは、あらゆる仕事がそうですよ、たぶん。
      材料しか作ってないという状況。
      これはねぇ、まずいですよ。
  周防 気持ちはわかるんです。
      ぼくだって、そう思うときは多々ありますから
  糸井 「材料だけ揃えれば料理できると思ったら大間違いだよ」
      ということが、如実にわかる映画ですよ。
  周防 はい、とにかく現場がすべてです。
      ジャンプを撮るときに高さを出したいんだったら
      カメラのアングルをああだこうだ考えればいいんですが、
      すごく高く飛んだということが
      この作品にとってどういう意味を持つんだ、と考えないとね。
      ジャンプは高けりゃいいのか?
      高さより美しさを考えなければならないこともある。
      そういうふうに、踊りを
      壊さないようにしなければいけないんです。
                        
自分の仕事でも、ついつい「絵コンテを再現」する方向で作業をしていないか?
毎日毎日、パターン化したルーチンワークに飽きてしまいがちだけれど、
そのようにしてしまっているのは自分自身。
一つ一つ、単純なことでも「意味のない」ことはない。 
常に、周りのことや目の前で起こっている物事に「どうやったら」とか考えたら、
今まで見落とされていた些細なことが、楽しさの集まりになっていく。