経験があるということ

映画監督の岩井俊二氏と糸井氏との対談を見つけて読んだ。
岩井俊二氏の名前は初めて知った。作品を見たことない。
1963年生まれというから、一歳ちがいだ。
映画監督をめざす若い人たちが、脚本を書ければ映画を撮れると思っていることについて、
釘をさすようなことを言っている。
                     
  岩井 いい脚本を書く人たちが映画監督になれるのかというと、
     それは全く違う職能なんです。これはほんとわかってもらえないですね。
     実際にぼくの周りに何人もいるんですけど、急激に映画監督になっちゃって、  
     本番で「よーい、スタート!」という声もかけられない状態に
     陥っちゃったりする。慣れちゃえば何ということはないのに。
     例えばプロ野球で、自分が急に巨人の5番を打たなきゃいけなくなったとする。
     4番が打って出塁した。で、次、自分の番が来たときに、
     どのタイミングで立たなきゃいけないのかというところで、
     まず戸惑うと思うんですよ、はじめての人って。
     打席に立つ、そのタイミングがわからない。
     どうってことないんですよ、そんなの。
     自分の番が来たんだから行けばいいんですけど。
     4番の選手は一塁にいて、こっちを見てて、
     そのうちみんな、こっちを見るようになって、
     「あ、いま立つのかな?」という、そういうレベルでのとまどいがある。
  糸井 グラウンドと観客席の違いだよね。
  岩井 「もし、あなたが神宮球場で、清原が打てなくて、
     『ばかやろう、清原!』と言っていたとして、清原が
     『じゃ、お前、打ってみろよ』と言ったら、さあ、どうなるでしょう。
     多分、あなたは清原のいるその場所までの、行きかたがわからないだろう」。  
     観客席からどうやってそこまで行くのかをまず知らないということなんです。  
  糸井 そうか、どの通路を通るかすら、わからないよね。
  岩井 ええ。撮影現場に行ったら、最初にその場所のことを
     どういうふうに見ていかなきゃいけないのか。
     みんなが「おはようございます!」と言っている瞬間に、
     自分はどうしなきゃいけないのか。
     助監督が来て、「俳優さん、××さんが入られました」。
     入られました? 今、どこにいるんだ(笑)?
     知っていれば、そういうのって、どうということないです。
     でも、そういうことが、「わからない一個一個」が
     あっという間にプレッシャーになってしまう。
  糸井 全部が、ストレスですよね。
  岩井 で、動けなくなっちゃう。だから、いきなりやると
     打席に立って打つところまで、行けない。
  糸井 それ、映画をめざしている人たちに言っても、わからないんでしょうね。
  岩井 わからないですね。
     「脚本から監督になれるのか」とか、「監督って、どのぐらいやればいいのか」
     とか、いろいろ質問が来るんです。
     こっちから「いや、なかなか大変だよ」という話を投げかけると、
     「そんなことない」みたいな声が平気で返ってくるんですよ。
     何人かは「いや、ホームランは打てないけど、 バントならできる」。
     そんな話はしてない、そこまで行けないという話をしたのに、
     「もう立っちゃってる」話をしている。
  糸井 いま岩井くんがしている話をおもしろがって聞けるという人は、
     「すでに何かをしてる」人ですよね。
  岩井 そうですね。
  糸井 例が思い浮かぶからわかるんです。
     学生で、何かやったことがなければ、「バントなら」と言っちゃうんでしょう  ね。
  岩井 言っちゃうんですね。「ああ、この距離が見えてないんだな」と思う。
     だけど、それは自分でちょっとずつ埋めていかなきゃいけないんですよ。
  糸井 そこが見えないぶんだけ、できるような気分を持っている。
  岩井 そういうことなんですよね。
     だから、いい本を書けたんで、すぐに監督やりたいということになって。
     いや、ほんと、やれたらやっても構わないですよ。
     それはもう、ほんとにそういう能力があればぜんぜん問題ない。
     周りを気にしない人だったらいけちゃうかもしれないし。
     ただ、ほんとに精神的ダメージを受ける人もいるから、
     やるんだったら、やっぱりちょっとずつゆっくり入っていかないと、
     いきなり水に飛び込んで心臓麻痺起こすみたいなことになる。
                         
若いときって、他人が事も無げにササッとやっているのを見て、
「ああやれば、自分にもできそうだな」って簡単に思ってしまうんだよな。
でも、慣れている他人はベテランの域に達するまでに何回も経験しているのであって、
見えない部分のチョッとした違いがある。
事前の準備だったり、順序よく行なう作業だったり、ムダを省いた動作だったり。
シロウトには、その違いがわからない、見えない。
                       
それに、岩井氏が言うように、そのような本質的なことでなくても、
単なる挨拶程度の仕草でも、わかっていないとプレッシャーになる。
               
でも、この「わかる」というのは、経験したことがあるか、
カラダに沁みこんでいるかどうか、であって、頭で理解しているということではない。
                   
だから、「わかる」ためには、経験するしかない。
経験していない者には、「わかる」ことはできない。