縛りのある時代

今日も、鈴木俊夫氏と糸井氏の対談から。
                        
   「縛りがあって人の社会があった時代じゃないと、
   物語が作りにくくなっているのかなぁ」
   という消極的な見方もできるわけですし‥‥。
   「縛り」がないと、できないからでしょうねぇ‥‥。
   例えば、スターウォーズにしたって、
   「縛り」から作っているようなものじゃないですか。
   あれこそ、宇宙っていう無限の可能性を前に
   「化け物は何を描いてもイイのねぇー」と
   自由絵画をおこなっているように見えるけれども、
   言わばギリシャ神話とでも言うか、「チャンバラもの」でもありますし、
   ところどころ、西部劇の「縛り」があったりする。
   そもそも「姫」がいるわけですし。
                     
要するに、窮屈さに対する欲求不満とか現状打破とか夢とかが
物語になるってことか?
                      
理想的な世界って、きっとつまらないんだろうな。
実現できるかどうかわからないけれど。
              
じゃあ、理想に向かって進歩するというのは、
つまらない世界に向かっているということか、ていう
逆説的な話しになってしまうんだけれど、
窮屈さを受け入れる気持ちはいつも持っていないと
何かあったときに、正面から受け止められないんじゃないかな。
                     
だからといって、窮屈な入れ物に入りたいとは思わないけれど。