完成品を書いちゃダメ

『広告も変わったねぇ』(天野祐吉)で、コピーライターの谷山雅計氏との対談から。
                      
   ぼく、少し前にミクシィでしばらく日記をつけていた時期があるんです。
   いまはやめちゃったんですけど、そのときに実感したのは、
   ああいう日記って、完成品を書いちゃダメなんですよね。
   ミクシィの日記には、読んだ人がコメントをつけられるようになっていて、
   どうもそこでのやりとりにおもしろさがあるようなんです。
   でも、完成品だと誰もコメントしてくれない。
   つっこみどころがなくて、なにも起きないんですよ。
   だから、まず半完成品くらいのところで投稿する。
   それにコメントもらったら、返事をして・・・・と、
   やりとりの過程で完成させていくものなんだということが、
   実際にやってみてよくわかりました。
   けどね、慣れていないうちは、完成品をかいちゃうんですよ、どうしても。
                              
   ずっとやりとりが続きますから。
   ミクシィにかぎらず、ウェブに書く文章には、そういうやりとりがあって
   はじめて独特の価値が生まれるようなところがあるような気がします。
   もともと文章を書くということは、完成させるように訓練されていますから、
   半完成品を人様にお見せするほうが慣れないと難しいでしょう。
                   
ブログを書き続けていて、自分の文章の欠点が何だかわからなかったが、
大事な点を指摘されたような気分だ。
                  
谷山氏のことばに出会うまでは、
「ネタ不足」「話しのオチがない」「起承転結の組み立てがなっていない」
「論理的でない」「ボキャブラリが少ない」「脆弱な表現力」
「意味も判らずに引用している」「変に着飾った文章」
などなど、要するに頭脳の能力が劣っていることが原因で、
文章がおもしろくないんだと思っていた。
                        
自分のブログなんて、誰も読んでいないから、
半完成品の状態で投稿しても、誰もコメントしてくれないけれど
ネタ探しや論の進め方に悩んでいた今までが、アホみたい。