価値の体系の中に自分がいるかいないか

「ほぼ日」での吉本隆明氏と糸井氏との対談を初めて読んだ。
                     
吉本隆明氏については、まるで興味がなかったし、本を一冊も読んだことがなかった。
吉本氏の名前を初めて知ったのは、
オウム真理教問題で小林よしのり氏が批判していたことからだったから
最初にネガティブなイメージが、自分の頭にこびりついてしまった。
だから、「ほぼ日」で、吉本氏のコンテンツがあっても、見る気がしなかった。
でも、だれかとの対談で糸井氏が、
吉本とのことだったら無償で何でも協力したい気持ちである旨を言っていたのを読んで、
すこし戸惑ってしまった。
今まで「ほぼ日」にいろいろ影響をされながら、
吉本氏のナマのことばを知らないのは、チョッとまずいかな、と。
で、たくさんある対談のなかで、テレビについて語っているのを読んでみた。
                            
  吉本 芝居や歌舞伎みたいなもんなんだ、という観点でいかないと、
     少なくとも、八百長だったろうとか、そうじゃないとか、
     そんなことは問題にならない感じはします。
  糸井 そうか‥‥あれを芝居だと言える人がいなくなっちゃったんですね。
  吉本 テレビに映ってる、組み合ってどうとかいうことが
     お相撲なんだと、思ってるわけですよ。
     それだけの影響をテレビが与えてるわけです。
     これは、そうとう大きな錯覚で、そこのところについて、
     テレビをつくる人が徹底的にわかってくれるといい。
     そうすると、ちょっと問題がちがってくるぞ、と思います。
  糸井 それはすごい大事なことですね。
  吉本 ええ、大事なことなんだと思います。
     つい、これでいいんだと思ってね、音がよく伝わるとか、
     近くでよく映して如実に筋肉が見てわかるとか、
     そういうことばっかり追求していても
     それは意味がないと、ぼくは思います。
     相撲は芝居の一部である、というようなことを
     どうしても追い詰めていかないと、ダメだと思います。
  糸井 それは、吉本さんのおっしゃる言語の研究が
     経済の価値論からはじまってることと対応した話ですね。
     つまり、「雰囲気」って、価値として算出しにくいから後回しになるんです。
                          
今、大相撲は八百長問題で20人以上の退職者をだしたばかり。
春場所に続いて夏場所も開催しないことを決定した。
                   
  「相撲は「スポーツ」なのだから八百長はご法度だ。」
  「相撲協会は、文部省に認可された団体だから税金払わなくて済んでいる。
  「八百長発覚したら、認可をやめなければならない。」
などの声が、マスコミを賑わしていたが、
相撲を芝居として観る、という感覚は知らなかった。
                       
あまりにも唐突過ぎて、うまいコメントが書けないけれど、
ネームバリューのせいか、納得させられてしまう。
                    
  糸井 芸術なんていうのは経済的な価値があるものではない、ということです。
     けれども、実は視線の当て方で、人と違うものが見えたりしたら、
     それは逆に、価値を呼んでしまうんですね。
     やっぱり、いま、人々ががんじがらめになっているのは、
     価値の体系の中に自分がいるかいないか、というところだと思います。
     その中で無価値とされている人間は辛いし、
     また、自分が価値があるかないか、明日になったらどうなっているか
     わからない状況でしょう。
                     
現在の価値体系の中に、自分がいるかいないか。
                
自分がその中にいないってわかったらどうしたらいいのか。
                 
現在の中で、自分の居場所を確保できるよう、這いずり回って、隙間を探さなければいけない?
現在の価値体系の枠組みに合うように、自分をカスタマイズしなければいけない?
自分の居場所がある、新しい価値を見出さなければならない?
             
最後の、「新しい価値を生み出す」のが、ベストではあるけれど、
今まで他人の踏み慣らした後を通ってきた人間にとっては、
人の足跡のない原野や砂漠を歩くのはシンドイ。
目的地が遠くにうっすらとでも見えていれば、ガムシャラに突き進むことができる。
でも、それって社会の価値体系と自分の存在との関係を
しっかり見据えているのかどうかわからない。

松田哲夫氏みたいに、常に
「現在にコミットする」ような生き方の方がいいのだろうか?