デザインとは、一つのコミュニケーション

佐藤卓氏が「ほぼ日」で言っていたことをコピーして、
テキストファイルに貼り付けておいた。
                 
佐藤氏のことばを読むのは久々。
苦悩の末に依頼されたデザインを生み出していることを、
氏の発言から知っていたので、
一度は読んでいるはずの内容ばかりなのに、読むたびに「ハッ」とさせられる。
                      
  参考資料は、世の中にたくさんあるわけです。
  「このボトルのような、こんな角度で。ここのアールの直径はこのぐらいで」
  と、つたえればいいんですね。実際にそうやりました。
  「自分の考えを 相手につたえられるのなら、どんな方法でもかまわない」
  と、ぼくは思っているんです。
  つまり、専門技能がないとしても「つたえる方法」を持っていればいい。
  自分の基準で、つたえられたらいいんです。
                   
  当時も「ヘタだ」とは思っていましたが、
  おしゃれなデザインがおいしそうかというと、
  かならずしもそうではないかもしれない。
  「野暮」や「ダサさ」ももしかしたら
  ウイスキーの世界では、プラスになるのではないか、と感じたんです。
                         
  「現在、 自分のデザインがヘタなのは、それしかできないものだけども、
  意外とそれがハマるのではないだろうか」
                      
  パッケージは、ただものを運ぶためだけ、
  ものを売るためだけにあるものではなくて、
  人とものが出会う経験の場面でもあるし、
  人が、人になにかをつたえる要素にもなる。
  パッケージというひとつの媒体の可能性はものすごいものなのではないか?
                         
デザインとは、一つのコミュニケーションの形態。
デザインを依頼した者と請け負った者の間の意思疎通というだけではなくて、
そのデザインされたパッケージを介して、
モノを渡した側と受け取った側、及びその仲介者
それぞれの気持ちをつなげる要素になる。
                      
的を得たデザインは、一瞬にして見るものを納得させてしまう。
どんなに丁寧な説明を繰り返しても、どんなに色鮮やかなグラフを多用しても
優れたデザインの足元にも及ばない。