「「ないもの」をイメージする力

『情報編集力』(藤原和博)の中で、松岡正剛氏との対談があった。
「編集」について、松岡氏の持論がたくさん飛び出してくる。
                    
  我々が、国は国家と思ってしまうとか、タバコは嗜好品と思ってしまうような、
  学習したつもりになっている先入観が今までどういう下手な学習によって
  なされたのか、というような研究が必要だと思うわけです。
                 
  編集というのは、ひとことでいうと関係の発見なんですね。
  どこかに潜んでいる関係を発見して、新しい関係にしていくことが編集なんです。

  編集とは、ある情報に対して、その情報を意味づけ、
  別の形で再生しなおす作業だといってもいいと思います。
                       
  対話というのは情報の配列ですから、そこに編集の秘密があります。
  「ないもの」をイメージする力に、プラスが潜んでいることもある。
                    
編集とは「関係の発見」だ、というのは、
今まで読んだ松岡氏の著作から既知のことであった。
                   
だけど、「対話とは情報の配列」ってのは初めて聞いた。
言われてみれば、その通り。
こんなシンプルなことばでまとめられてしまうと、妙に腑に落ちる。
                        
「「ないもの」をイメージする力」って、エネルギーが必要。
                     
何かを説明をするときって、
ほとんどが「あるもの」をことばに変換する作業だ。
説明の対象が過去のことだったりすると、記憶がだんだん薄れていく中で、
ちょうどいいことばをさがすことになる。
                 
そういう、「あるもの」を説明する、イメージする癖がついているから、
「ないもの」をイメージして、ことばにするのは苦手になっている。
                   
どうしても現実のもの、目の前にあるものばかりをイメージしてしまう。
何かひとつのことばから連想されるのも、
関連性の緊密なものばかりになってしまう。