風景の描写

3月2日に、白岩玄氏と糸井重里氏との対談を引用していた。

                      
  白岩 でも、人間の意識って、なにかの風景をそんなに鮮明に認識してないですよね。

      もっと、いい加減なもんでしょう?

      だから、景色とか状況を綿密に描写している小説があるとして、

      もちろんそれはそれで読む側からするとすごいなとは思うんですけど、

      読んでいて、ついていけなくなるときもあるし、

      そもそもそんなに意識しいへんやろっていうような気持ちもあるし。

      なんか、そのあたりが、自分が小説を読んでて

      つねに引っかかる部分なんですよね。

      だからぼくは背景として見えてるものをそんなに書かないんですし、

      もっと人間の意識に沿った書き方ができるんじゃないかと思っているんです。

    
この引用の後につなげた自分の文章は、説明の仕方についてだった。             
説明が長くなると、相手が混乱するという内容。
でも、白石氏のここでの発言って、あくまでも意識のこと。
普段は、風景についてあまり意識していないのに、
小説になると場面の説明にクドクド描写している、
というのはおかしいのではないか、という問題提起だった。
                         
自分の意見を書くとき、ムリが働いて話しを捻じ曲げている。