「のっぺらぼう」と、「クリエイティブ」や「アート」

「ほぼ日」の、「カフェの視線」での糸井氏の発言から。
                  
 糸井 音楽でも映画でもなんでもいいんですけど、
     決して少なくない時間を自分自身に投資してきた時間がまずあって、
     その上で、摩擦熱のようなものを伴って生まれてくるクリエイティブに、
     やっぱりぼくはリスペクトの気持ちがある。
     だから、役割がマルチタスク化していく‥‥という
     時代的な流れはわかるんですけれど、
     何と言うかな、「のっぺらぼう」と
     「クリエイティブ」や「アート」を
     同一平面に置いちゃうのは、ぼくには、ちょっと‥‥退屈なんですよね。
                              
表現することの実践練習のために、このブログを立ち上げた。
誰も読まない文章を毎日発信していても、
ただの「のっぺらぼう」なのではないのか?
                    
「クリエイティブ」や「アート」には、
根本により「大勢の人に見て欲しい、聞いて欲しい」という欲求がある。
「わかる人だけがわかってくれればいい」という、
一種の諦めを伴っていたとしても、
やはり、より多くの人と同じ気持ちを共有したいという切望はあるはずだ。
                      
技術的なことよりも、精神的なこと。
                    
最近、技術力を補う装置が優秀になって、
誰でもがいろんな形で自己表現できるようになった。
しかし、環境が整ったから発表しました、というような作品には魅力が無い。
              
周囲との軋轢が生じても摩擦で削れることなく残る頑固さ、
そんな、押さえても押さえても湧き出てくる内的欲求が、
場当たり的ではない作品を残していく。
                     
「これからは専門分野に特化した人間、
 差別化をした者だけが生き残れる時代だ」といわれながら、
すべての役割をこなす人間が、活躍する場になってきている。
原作、演出、脚本、構成、主演、編集、撮影、聞き手、
語り手、執筆、会場手配、切符手配、営業、経理
司会、まとめ、資料作成、...etc。
                
役割がマルチタスク化されているなかで、
人は、内的欲求をするエネルギーを、どう溜めていったらいいのだろう?