つくりたい欲望のある時代

「ほぼ日」で、ポストペットの生みの親、八谷和彦と糸井氏との対談を発見した。
2000年に配信された記事なので、もう10年以上前の対談だ。
                                          
 糸井 「メディア」が1番遠く思えてたもので、学生やってるときに、
     いま1番ないものは何だというときにメディアだって思いつけるっていうのは、
     やはりメディアに載せるためのアイディアの話があるひとですよね。
                   
     例えばプレイステーション2とこれみたいに通信ができるマシン、
     どっちの可能性がどうだというとき、ハードをつくっているひとたちって、  
     スペックでどうしても勝負したくなっちゃう。
     ところが、プレステ2とかドリームキャストシェンムーが典型だけど、
     70億かけられるやつがどこにいるんだよ、
     ってなったときに、つくり手があまっちゃって
     メディアが少ないっていう状態になるとすると、
     プレステ2の先っていうのは、ぼくはいつでも
     つくり手の立場からしゃべりたくなるから、あそこに魅力ないんですよ。
     つまり、ひとりかふたりで10万円でゲームをつくれるとすれば、
     そこに可能性があるんですよ。
                   
     だからぼくは、どっちがどう残るかは知りませんけど、
     つくりたい欲望のある時代が、ぼくにとっては素晴らしい時代で
     それを載せられるメディアがある、みんなにメモパッドを渡して
     絵を描いてごらんなさいっていうほうが、ぼくにとっては意味があるんです。
                
     どっちが勝つでしょうねという予想はしないですけど、
     メモパッドが配られるという意味では、ちっちゃいマシンで、
     3日でできますよというほうがぼくの究極の理想だから、
     どうなろうがぼくはそっちを応援するんです。
                    
     そこでインフラをつくりたいひとだとかビジネスをやりたいひとって、
     どうしてもスペック勝負になるから、そこに気づかないんですよ。
     クリエイティブを乗せる容器とクリエイティブの関係に目がいかないんで。  
     八谷さんがメディアが足らないんだと無意識に思っていたんだとすれば、
     「俺が考えている妄想を、誰に伝えたらいいんだ」
     っていう、妄想力のフローオーバーみたいな状態が
     若者特有の力とあわさったんじゃないかなあ。
                                      
糸井氏って、もうずっと前から
スペック重厚傾向に対して懸念を表していたとは、やはりスゴイ。
先見能力というよりも、時代を生き抜く嗅覚の鋭さがある。
                   
世間では、まだモノに対しても人に対しても
スペックの数値を比べて評価してしまう癖がある。
でも、どんなに大容量、どんなに高速なスペックの機器を揃えても
充実した中身が入っていないと、贅沢なおもちゃにすぎない。
                     
何をもって「充実した中身」と言うかは、人によって違うけれど、
中身は、誰でも気軽に出し入れできるものであるのが理想。