ボトルネック
デスクトップに貼り付けてあったテキストファイルを開いたら、
以下のような文章だった。
出所がわからないんだけれど、内容からみて、
「ほぼ日」で、岩田聡氏と糸井氏との対談のどれかだろう。
あらゆることがそうですけど、かならず「ボトルネック」といわれる
いちばん狭い場所ができてしまって、そこが全体を決めちゃうんですよね。
逆に、全体をどうにかしたかったら、ボトルネックがどこなのかを見つけて
そこを直しにいかないといけません。
ボトルネックより太いところをいくら直したとしても、
全体はちっとも変わらないんです。
けっこうそれを見つける前になにか手を動かしていたほうが
安心してしまいがちで、人はつい目の前の汗をかいてしまいがちなんですけど。
これは、強みと弱みの話ともつながる概念なんです。
自分しかできないことはなにかとか、
いちばん問題になっていることはなにかとかいうことが
ちゃんとわかって行動していくべきですから。
まぁ、そうしたとしても行動は所詮仮説にすぎないので
まちがっているかもしれませんが、少なくとも
「ここがボトルネックになっているはずだから
これをこう変えれば全体がこうよくなるはずだ」
というふうに行動しなければいけないのに、わりとそれができないものですよね。
わたしは、そのことはよく意識するようにしてきました。
これは自分がコンピュータをやっていて得意だったことのうちのひとつです。
「もっとプログラムをはやくしてください」というときには
ボトルネックになっている部分がかならずあって、
それが全体を遅くしているんですね。
プログラムではよく
「極端ないいかたでいえば、全体のなかの一%の部分が、
全体の処理時間の七割から八割を消費している」
などといわれるぐらい、そこばかり何回も処理していることがありえます。
だからそのボトルネックになっているところを
直さないかぎりは、そうじゃないところをいくら直しても意味がないんですね。
ボトルネックって、ほとんどが自分の不得意分野のことだから
どうしてもほっぽっときぱなしになりがち。
不得意分野に面と向かえるというのは、すごいことだと思う。
それを乗り越えることができる人は、尊敬に値する。
他人の力を借りて、対応したとしても、
その他人の能力を引きずり込む能力は、その人の魅力なんだと思う。
モデル化を単純にするほど考えやすくなるから
単純なモデル化には魅力があるんです。
だけど人に対して単純なモデル化で経営をするのはまちがっていますよね。
「あなたはそんなに単純にモデル化されたいか」と説教したくなります(笑)。
いる!
「俺って〜だから。」って、自分自身を分類してしまっている人。
それって、ただの自己満足にしか映らないけれど。
「お客さんとしては会社がどう見えたらその会社を好きになるか」とか
「社員はどうしたら自分の会社のことをポジティブに語りたくなるか」
という視点がなくなるとすごく危険だと思うんです。
経営者ってのは、ここまで考えなきゃならないのか、
人を雇うってのは大変だなぁ。