『考える奴隷の仕事』の おもしろさをわかりなさい

もう一つ、岩田氏と糸井氏の対談から。


 岩田 「お客さんは、わかってくれない」というのを前提にして
    ものをつくっていくという宮本さんの姿勢は、
    ふだん、ぼくがやっていることに近いんです。
    「コミュニケーションの前提は、
    ディスコミュニケーションである」って、  
    ぼくはよく言うんだけど、お客さんって身内ではなくて、
    いわばすれ違う通行人のようなものだから、
    理解してくれないのがふつうだと思うんですよ。
    だから、宮本さんが「ポンと渡しただけで遊べるようにつくる」
    というのとまったく同じで、
    まずは絶対、誰にでもわかるようにつくりたい。
      
      
    「ものをつくる人」と「お客さん」は、王様と奴隷の関係にある。
    でも、王様は「ものをつくる人」じゃない。
    「お客さん」のほうが王様。で、「ものをつくる側」は奴隷の役。
    王様は「もういらない」って言うことも、
       「つまらない」って言うことも
       「わからない」って言うことも自由にできる、
    超わがままな立場で、その超わがままな王様に、
    どうしたら喜んでもらえるかな、まえのものは飽きちゃってるけど、
    つぎはこうしたら喜んでもらえないかな、
    ということを、奴隷の側は考える。
    「その『考える奴隷の仕事』の おもしろさをわかりなさい」
  
  
 糸井 「つまんない」とか、「飽きた」とか、
    「もっと持ってこい」とか言われたあとで、
    それに合わせてあわててぺこぺこしながらつくっても
    いいものができるわけがないんですよ。
    だから、DS以降に任天堂がやってることって、
    王様たちが、既存の価値観の延長線上で、どんどん飽きながら
    「こういうのをもっともってこい」って
    わがままを言ってるようなときに、
    「王様、こういうのもありますよ」って、
    奴隷の側から新しいものを差し出したんですよ。
    しかも、その新しいものに対して
    「こんなのは、わからん」って、
    言わせないようにしたわけでしょ。
    それは、やっぱりすごいことですよ


どんな商売でも、
説明をして消費者の理解を促す商品というのは、
消費者に対して「甘えた商品」なのだろう。


誇大広告はいけないが、
目にした瞬間に相手の気を惹く、相手がどんどんと夢中になる、
そんな作品になまでに、揉んで揉んで、悩んで悩んで
を、繰り返さなければならないのかもしれない。


ただ、それを楽しんでやれるかどうかが、
やり遂げられるかどうかの分岐点となる。