ご褒美発見回路

「ほぼ日」で、岩田聡氏と糸井氏との対談から。


  岩田 人は、まずその対象に対して、自分のエネルギーを注ぎ込むんですね。
     時間だったり、労力だったり、お金だったり。
     そして、注ぎ込んだら、注ぎ込んだ先から、
     なにかしらの反応が返ってきて、それが自分へのご褒美になる。
     そういうときに、自分が注ぎ込んだ苦労やエネルギーよりも、
     ご褒美の方が大きいと感じたら、人はそれをやめない。
     だけど、帰ってきたご褒美に対して、
     見返りが合わないと感じたときに、人は挫折する。
     これは「やめずに続けてしまうゲーム」の条件としても成り立ちますし、
     「英語を学ぶときに挫折しないかどうか」も、
     同じ理屈で説明ができると思うんです。      
      
     自分がおもしろいと思うことをどんどんそこに投げ込んでいって、
     それが受け入れられたときに快感が生じて、
     そういうことがどんどん得意になる。
     この循環を成立させられることこそが
     おそらくその人の才能だと思うんです。
     つまり、才能というのは、「ご褒美を見つけられる能力」
     のことなんじゃないだろうかと。   
     
     「なしとげること」よりも、「なしとげたことに対して
      快感を感じられること」が才能。      
      
     わたしが見つけた「天才の定義」があります。
     「 人がいやがるかもしれないことや、
       人が疲れて続けられないようなことを、
       延々と続けられる人 」、
     それが「天才」だとわたしは思うんです。
     ご褒美を見つけられる、
     「ご褒美発見回路」のようなものが開いている人。        
      
     考えるのをやめないこととか、とにかく延々と突き詰めていくこと。
     それは、疲れるし、見返りがあるかもわからないし、
     たいへんなことだと思うんです。
     でも、それは、それができる人にとっては苦行じゃないんですよ。
     それを苦行だと思う人は、苦行じゃない人には絶対勝てない。
     だから、それが才能なんだと。
     だから、自分が苦労だと思わずに続けられることで、
     価値があることを見つけることができた人は、
     それだけでとても幸せだと思います。
      
「ご褒美発見回路」って面白い発想だけれど、当たっているような気がする。    所詮は、自己満足。
報酬(ご褒美)は、金銭や名誉、名声、人さまざま。
必要なのは、それをご褒美として受け入れられる心の持ち方。
開いた心に、ご褒美が与えられれば、人は自然とがんばる。
         
それは、好きでやることであって、無理したり我慢したりの苦行ではない。
だから、”がんばる”という表現は、適切ではないかもしれないけれど。