「考えなくていい」という楽

河合薫の新・リーダー論』
「部下も、上司も、み〜んな“思考停止症候群”?!」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110222/218549/?P=1
を読んで。
             
  リーダーシップにしても、コミュニケーションにしても、
  あまりに言葉が正しすぎるがゆえに、
  その一言を発した人も、それを聞いた相手も
  「確かに、そうだね」と納得しがちだ。
           
  誰もが知ってる安全な言葉、美徳、知識……。
  そういったものが、思考を停止させる一言になる。
  そして、思考停止ワードが発せられた途端、
  『今』『ここ』にある問題が置き去りにされているにもかかわらず、
  あたかも前に進んでいるような錯覚に陥るのだ。
    
  確かに考える、というのは、面倒くさいし、疲れる作業だ。
        
  あまりにしんどく、できることならさっさとケリをつけたい。
  そんな時、ある一言が、しんどさから脱却する方便となる。
  それが、思考停止ワードだ。
  「それぞれの生き方だよね」とか、「個性だよね」なんて言葉も、
  思考停止ワードだし、「素晴らしい」、「美しい」、
  あるいは「むかつく」「面倒くせー」なんて一言も、
  思考を停止させることがある。  
         
  私の場合は、理論とか識者の言葉とかを引用することで、
  「考えるしんどい作業」にケリをつけてしまうことがある。
          
  「〇×博士は、『ほにゃらら』と理論の中で、
  『オッペケペー』と述べている」なんて言葉を使うと、
  「〇×博士が言ってるんだから、誰も反論しないだろう」と安心し、
  自分の『考える』作業を終わらせてしまうことがある。
        
  本来は、〇×博士の言葉を引用するにしても、
  自分なりに消化して用いることによって、
  考えるというしんどい作業を、さらに推し進めなくてはいけない。
  なのに、そこに行き着く前に、考えることをやめてしまうのだ。
  ところが、〇×博士の言葉を使うと、なぜか強気になれる。
  虎の威を借りる、とでも言うのだろうか。
  ついついラクな方に逃げたくて、〇×博士の言葉に頼ってしまうのだ。
           
河合氏の言うとおりなのだが、
世間一般に流布していることばに巻き込んだ方が楽なのだ。
処分しなければいけない家財をいちいち吟味せず、
まとめてゴミ袋に放り込み、ゴミ集積所にだすようなモノ。
            
出してしまえば、とりあえず落ち着く。
ゴミの行き先までは知ったこっちゃない。
           
有名人や知識人の意見にタダ乗りするのも同じ。
自分の考えのみに立脚して意見を述べるって、
すごくしんどい。そのくせ、まるで説得力が無い。
それよりも、有名人のことばを拝借した方が、
スンナリと周りを納得させられる。
それになんといっても、楽。だって、考えなくていいから。
               
本当の問題解決にはならないけれど。