ダウンロードできないもの

今日も、『ほぼ日』就職論での矢沢永吉氏と糸井重里氏との対談からら。
矢沢氏が、


  ダウンロード、デジタルコピー。
  時代がそういうふうに動いていくときに、
  どっちかだろうと思ったのよ。
  ダウンロードできないものか、
  逆に、とことんダウンロードできるものか、どっちかだと思った。
  真ん中じゃもうダメだと思ったね。


  で、俺にとって、ダウンロードできないものって、
  なんなんだろうと考えたときに、「ライブだ!」って思ったんだよ。
  ライブステージ。
  これはダウンロードできないなと思ったわけ。


ダウンロードできちゃうものって、
許可なくコピーして、流布されちゃうもの。
それって、どんなに頑張っても防ぎようが無い。
だから、絶対に流布されない固有のものを
永ちゃんはさがしたんだろうなぁ。


田坂広志氏が著作の中でよく、
ネット革命によって、知識の価値が下落する。
そのとき大切になってくるのは、人がらや人間性だと言っている。


永ちゃんと田坂氏では、言っていることがちがう。
永ちゃんは、音楽という「芸術」について語っている。
田坂氏は、知識という「教養」について語っている。


でも、二者の発言に共通点を感じてしまうのは何故なんだろう。


きっと、田坂氏が強調する人間性について、
芸術的センスの重要性を訴えているように感じるからだろう。


知識というのは、世界共通である。本来、誰が言っても同じ筈。
でも、論の組み合わせ方や順番、タイミングで、個性が出る。
また、知識を得るまでの熱意や想いと、
努力、忍耐、気づきなどの経験が、
その人固有の重み、深みとなり、誰にも真似できない作品となる。
そのような作品は、もう芸術と言ってもいいように思う。


経験から滲み出る個人の重みや深みは、ダウンロードできない。


今の自分にとって、ダウンロードできないものって何のだろう?
そもそも、そういうものってあるのだろうか?
今の自分を飾っているのって、他から得た情報ばかり。
そういう薄っぺらいものを剥いだ後に、何が自分に残るのだろうか?