自分だけをみつめて決める

今日も、以前気になった記事のコピーペーストから。
坂田耕氏の『CM対談』で、アートディレクターの葛西薫氏との会話。


  葛西 新しいことを意識しすぎたものはすぐ古くなりますから、
     この辺は裏腹なんですよ。そう思うと新しいとか、
     強いとかは忘れてしまって、「好きか、嫌いか」、
     「やるか、やらないか」の判断を自分だけをみつめて決めた方が、
     嘘がない分相手に伝わりやすいと思います。
     周りを見て自分を判断するということは、いいことではありませんね。


ここら辺の考え方って、今の糸井重里氏に通じるものを感じる。
確か、糸井氏も自分に正直な行いをしたくて、
「ほぼ日」を始めたって言ってたような気がする。
(確かめる気力はないけれど)


でも、自分に正直にって簡単そうで一番難しい。
湧き上がっては消える、その時々の気持ちで、
どれが本当に自分が好きなことか、
どれが本当に自分が嫌いなことか、
ほとんどの人はわかっていないから。


  葛西 なにか机の上で考えたことだけを映像化したものは、怖いと思います。
     例えば「桜が咲いたらピンク色」というものがあるとすると、
     「春=桜=ピンク」といった頭の中の図式によって、
     もう表現が、完結したように思ってしまうことがあります。
     本当は寒い時や暖かい時、雨の時、晴れた時、
     それを見る自分の精神状態によってピンク色も
     微妙に様々に違う筈なのに、そのあたりが全部記号化されて、
     「春=桜」「桜=めでたいもの」といったような、
     そういう全集合が15秒に詰まっているような気がします。
     ほんとはその隙間にものすごい量の情報というか、
     人間の知覚能力があったような気がするんですが…。


葛西氏の警告する単純化は、だれでも知らぬ間に陥っているはず。
どうしても、パターン化された考え方や、
いわゆる「常識」で判断してしまうのではないだろうか。
葛西氏は、知らず知らずのうちに「考えなくなる」癖がつくことを怖れる。


でも、膨大な量の情報を送り続けなければいけない、
受け止め続けなければいけない現代社会では、
ある程度のことは記号化しないとやっていけないとおもうのだが。。。


所詮は、どこらへんで妥協をするのか、ということになるのでないだろうか。