感動する力をどうやって引き出すか

ほぼ日の昔の記事で、糸井重里氏と日比野克彦との対談
『のんびりした神様に』を、一ヶ月くらい前に読んだ。
そのとき気になった箇所をいくつかコピーペーストして
デスクトップに貼ったままだったのを久々に読み返した。


  日比野 自分が絵を描いて、アトリエの中でいいなと思うとします。
      でも、それだけじゃダメで、人に見せたときに、
      「日比野くんの絵は好きだ」とか、「いいな」とか、
      その人が思ってくれる瞬間がその絵の持ついちばん大切な部分なんです。
      それは、その絵がすごいんじゃなくて、その、たかがダンボールの上に
      色が乗っかっているだけのそれに、「そこで感動できるおまえがすごい」
      ということなんですよ。


      絵描きである僕も、そういう感覚には、なってます。
      だから結局、僕らのやってることは
      それぞれの受け手の中にあるいろんなその絵を見る力とか、
      感動する力をどうやって引き出すかみたいな、そんなこと。


  糸井  プロデュースってね、やっぱりちょっとまだ、
      金だの日取りだのコントロールが重要すぎるんだよね。
      もっと、いい加減なものとしてみんなに食ってもらうのが、
      アートとして「あたり」なんだ。


作品を見せるだけの一方通行的なのがアートではない。
作品を触媒として、作者と観客が瞬間を共有できること大切。
大貫卓也氏がよく、「広告で大事なことは、コミュニケーション」
と言っているのと同じことなんだろう。
アートや広告という表現活動は一方的にならざるを得ない。
しかし、それを受け止める気持ちがなければ、
どんなすばらしい芸術も、空振りに終わってしまう。


  観ている相手、聞いている相手、触れている相手の心の奥に眠っている
  鑑賞する心、感動する心、想像する心を引き出す。


普段の会話でも、心がけていないと、
ついつい自慢話になったり、説教がましくなったり、
一方的な感情の発露になりがちだし、
下手をすると喧嘩になったり、妬みや恨みの感情を引き起こしたりする。


どうやったら、相手の心とコミュニケーションができるのか?