情報の咀嚼

ほぼ日の、細川護熙氏と糸井重里氏との対談を読んだ。
『細川家の平熱』というタイトルだ。
「細川家の至宝」展が昨年の春、開催されて、
その頃に行なわた対談。


話題は、細川家の文化財や、その維持活動の苦労話から始まり、
細川護熙氏がのめり込んでいる陶芸の難しさが語られていく。


細川氏がなかなか思うような作品ができない中で、ピザ屋の職人に聞いた、
おいしいピザを焼くコツからヒントを受けて、
窯の炊き方を変えてみたら、作陶がうまくいき始めたという。


それが、陶芸の師匠から教わったことではないというのを聞いて糸井氏は、


  「 情報量を圧倒的に増やして吸い込んでいくんじゃなくて、
    小さな、少ない情報を大事に組み合わせたりしながら
    やっていくという方法なんですね。
    本も、少ない本をゆっくり読んだり何度も読んだり、
    消化できるものだけ食べるみたいなことって
    今といわば逆行してるんですけれども。        」


と発言する。


情報社会になった現代は、とかく何に関しても網羅的に情報を蒐集しようとする。
しかし、本当に必要な情報は100個に1,2個。
あとは、二番煎じだったり、重複していたり、ハッキリ言ってムダなものばかり。


ムダな情報は、人の気持ちを惑わせるだけ。邪魔。


だから、最近はいかに必要な情報だけを抽出してまとめる編集術が人気を集めている。
協力なミキサーに情報をどんどん放り込んで、ガガガーとやって、
出てきたどろどろのジュースを布で絞れば、必要なキーワードだけを取り出した
濃密情報のエキスの出来上がり、という感じ。


しかし、それは機能的ではあるが、味わいが無い。
だから、情報エキスばかり取り込んでいても、気持ちが満足できない。
本来は、一番適した形を提供しているはずなのに。


それよりも、ムリせずに得られる情報、
そのときそのときの心身の状態で消化できる情報だけを
必要な量だけ、充分な量だけを採るようにする。
それを、丁寧に咀嚼して、自分の体に取り込んでいく。


そうしないと、もともと情報が持っている意味を活用できないだろう。


もちろん、大量の情報そのものがいけないというのではない。
得られた情報をひとつひとつ吟味して、噛み砕くという作業が、絶対に必要なのだ。
情報の量が多くなると、その作業がおろそかになってしまい、
情報蒐集そのものが目的となってしまうということが問題なのだ。