属するということ

『ゼロからの脚本術』の中で、
映画監督の内田けんじ氏が、浦島太郎体験を語っている。


アメリカに行くときは、日本で誰も携帯電話を持っていなかったのに、
帰国したらみんな携帯電話を持っていたことに驚いたらしい。


駅で前に立ってたおじさんが、電話して「今どこ?」って聞いてる。
その「今どこ?」が衝撃的だったと言う。


昔は置き電話だったから、電話は家にかけるものだった。
でも今は、相手がどこにいるかわからずに電話している。



携帯電話というハードウェアの出現による
便利さ、快適さは認識していたけれど、
考え方までいつの間にか変わってしまっているとは思ってもいなかった。
言われてみれば「あっそうか」とは思うが、
その中に暮らしていた身としては、まったく気づかずにいた。


今まで、モノが限られていた時代は、
人は、場所なり組織なり家なりに属していた。
人は常に何かに属しているという捉え方。


しかし、現代は携帯電話やネットの発達により
人は、何にも属さないで生活することが可能になった。


それは、個人個人において、
自身を守らなければならないということを
必要をされているように思えてならない。