『自分をいかして生きる』を読んで

『自分をいかして生きる』(西村佳哲)を読んで、
気になった言葉をピックアップ。


  何がイケてるか、これからなにが来るか、どう動くのが得か。
  運と頭のいい人は、その思考方法で結果を出せるだろう。
  でもそれは現状追認の先取りだ。


  カタログ化した社会の中で、価値をつくるのではなく
  選んだり買ったりして生きること。
  自分に合わせて選んでいるように見えて、
  実は与えられた枠組みの中か方に自分を合わせているような事態が、
  頻繁に生じていると思う。


ついつい、「これから流行るものは何か?」
なんて考えて、そちらの仕事に行こうとする。
就職に有利そうな資格試験の勉強をしようとしたり。


でもそれは、たくさん獲物がいそうな漁場に、
他人よりも先にたどり着こうとしているだけ。
手付かずの漁場を自分で調べて、行き着くのならまだいい。
餌場を確保するのは、一つの生き方だ。
でも、他人に言われるがままに行動するのは、どうしようもない。


必ず、「自分自身で考える」行為をしなければならない。
どんな意見でも、一度自分の中で咀嚼して、濾過して、搾って、
出てきたものが、個々人の行動指針となるのだから。


ロスで小さな宿を営む女性との会話などから、


  その時その時に自分が正しいと思ってやってきたことが、
  何かこういう結果につながっているとしかいえない。
  つまり、目標よりプロセス(過程)を重要視して、
  歩きながら行く先を決めていくようなスタイルね。


  何か始めようとする時、どうせああだろうとか、でもこうだろうとか、
  結果のバリエーションばかり思い描いていたら何も始められないわよね。


  「はじめればはじまる」。「はじめないかぎり、何もはじまらない」。


行動することの大切さ。
目標や、夢があるのなら、それに向かっていけばいい。
でも、必ずしも、目標や夢がなければ、いけないというわけではない。
はじめてみる。そこから何が得られるか?
どんな困難が待ち受けているか?
それは、はじめてみなければわからない。
最初から予想できないから、面白い。


自分が「好きなこと」を見つけて、それをはじめればいいのか?
きっとムリだろう。「好き」なだけでは、続かないことを知っている。
仕事にする、報酬を得る、となると「好き」が「嫌い」になってしまいがち。
では、どうすればいいのか。
本書には、この点についても分かりやすい解説が載っていた。


  敬愛する働き手たちの顔を思い浮かべてみると、
  お百姓さんも、デザイナーも、会社を経営している人も、料理人も、
  「好き」だけを足がかりにして仕事を担っているとは到底思えない。
  好きなことより、大切にしたいことは?という問いの方が、
  まだ有効なんはないかと思う。彼らにはそれぞれ間違いなく、
  何か大切にしているものがある。


自分にとって「好き」よりも、「大切」に思っていることを探す。
「大切」に思っていることってのも、普段は意識しないから、
いざとなるとなかなか見つからない。
パッパッパッと思いつくものを書き出してみて、
本当に大切なものか、問い直してみると×印がついていく。


加藤晴之氏の、商品企画を提案して却下された経験談にヒントがあった。
加藤氏が新製品のアイデアを伝えたとき、「何言ってんの」と戻された。

  カチンときますけども「えっ?」とも思うわけです。  
  「自分はなぜそれをつくろうと思ったんだろう?」
  「やりたいことはいったい何だろう?」といったことを掘り下げていく。


このような、日常の小さなやりとりの中に、
見落としがちな「大切に思うこと」が潜んでいるのだろう。


そして、ビル・アトキンソンのことば


  表現したいことのある人のまわりには、必ず小さなマーケットがある。


自分の周りには、必ず自分に与えられたマーケットがある。
今はまだ、自分に見えていないだけ。