物事を大空から俯瞰して見る

日経BPの小田嶋 隆のコーナー
『ア・ピース・オブ・警句』で、
「内向きな若者じゃダメですか?」を読んだ。


最近、「若い者が内向きになっている」という
メディアでの喧伝に対して、疑問を投げかけている。
その冒頭で、若いサッカー選手が
ヨーロッパのチームに移籍していくことを挙げて、
若者の内向き理由を論じている。


  サッカー選手は外向きだ。のみならず前向きでもある。
  サッカー選手が「外向き」である理由は、
  サッカーが成長分野だからだ。
  成長過程にある集団の中にいる若者は、
  外界に対して積極的な態度をとる。当然の反応だ。
  別の見方をすれば、サッカーの世界では、
  日本はいまだに発展途上国で、
  だからこそ、海外から得るものがそれだけ大きい
  ということなのかもしれない。
 

  そう考えてみると、
  現代の若者が内向きであることの原因も見えてくる。
  理由は、必ずしも彼ら自身の心性に内在するのではない。
  むしろ彼等をとりまく状況が
  彼等を内向きにさせているというふうに考えるべきだ。
  具体的に言うと、国としての日本が
  世界の中で停滞しているという事実が、
  その中にいる若者の海外志向に水を差しているということだ。


個人的には、TVで流される識者の意見などに対して
「何で、内向きじゃいけないんだ?」って、反発をしていたが、
その理由を言えなかった。
言葉が出てこなかった。


内向きとは反対の、「スポーツ選手の外向き」現象を
見ていたのに、それと対比させる頭脳を持っていなかった。


著者は、「内向きになる若者」と「外向きなスポーツ選手」を
見比べて、「成長過程の業界」と、「停滞している社会」
という分析結果を導き出した。


言われてみれば、「なるほど」と、納得してしまう。
しかし、この見解は自分では行き着けなかったと思う。


他人の意見に対して、反発したり批判をしたりしているが、
自分はいつも、
  「なぜ、そう思うのか?」と、問い直す気持ちに欠けている。
また、
  「反対の事例はないのか?」
  「なぜ、(反発する相手は)そう考えるのか?」
  「今まではどうだったのか?」
  「自分としては、どのような結果を望ましいと考えているのか?」
  「世間一般ではどうなのか?」
  「その事例を取り巻く環境はどうなのか?」
など、感情的になってしまい、
物事を大空から俯瞰して見るような、客観性に欠けている。


山田ズーニー氏の本で、
イメージ図になっているような見方を持ちたい。