記号化の危険
「葛西薫」と入力して、googleで検索したら、
『文化庁メディア芸術プラザ』でのインタビュー記事を見つけた。
TVCMを中心に、葛西氏が語ったことばには、
記号化が浸透している現在の社会に対しての危機感が現われている。
現代社会は経済が優先されて、
人の感情が後からついてくるような感じがします。
頭で考えるのではなくて、感覚の人というか、
身体で感じることが主体の人がもうちょっと
前に出てきてもいいんじゃないかなと思いますが、
結局みんなマニュアル化しているんですよね。
(一般的にステキと思われていることが)
「最良」であるのかどうかは、人によってちがいます。
一概には言えない。
それなのに、カテゴリーを分けてカタカナ化して、
決め込むことですべて記号化されていくのも、
一種のデジタル化(記号化)だと思います。
葛西氏は、なぜ記号化に対して危惧しているのか?
クリエータが、パターン化した表現ばかりを生み出し、
CMなどが個性のない作品ばかりになってしまうからか?
それもあるが、葛西氏が心配しているのは、
見る側の人間のことだろう。
パターン化した表現ばかりの作品を見ていると、
自然と、パターン化した思考に陥ってしまう。
いつの間にか、考えること、疑ってみること、
洞察することなどをサボってしまう。
先日、つんく♂のことばで、
「リズム感が悪いのは、リズムを意識することをサボっているから。」
って言うのを取り上げたが、同じことだと思う。
意識することをサボってしまう危険。
気をつけていないと、すぐにサボり癖がついてしまう。
もちろん、広告する側の人間にとっては、
視聴者は何も考えずに、思ったとおりの反応をするように
なって欲しいのだろうけれど。