俯瞰で描きつつも目線を下げる

ほぼ日刊イトイ新聞 』で、三谷幸喜氏との対談
『『わが家の歴史』を、 観ると決めた。』を読んだ。


戦後すぐの、時代を生きた一家を描いた
ドラマ(三谷氏脚本)が、対談のテーマ。


糸井氏が、『わが家の歴史』を
「落ち着いたドラマ」とドラマを評している。
戦後すぐの昭和を描いた作品って、
ドラマでも映画でも、
どうしても「混沌とした時代に翻弄された人」を描いてしまうので
仰々しい、重苦しいモノが多い。


それなのに、このドラマには、そのような時代にも
明るく生きた一家を描いているのが好い、って糸井氏は言う。


その意見を受けて、三谷氏は、
  「  ぼくのとるべき立場としては、
     なるべくそれを俯瞰で描くことだなと思っていて、
     それでいて高見から見下ろさないこと、
     「俯瞰で描きつつも目線を下げる」
     という気持ちがすごくあったんです。      」
と答えている。


時代劇や、歴史を題材にしたドラマを見ると、
その結果である史実を知っているから
どうしても、高台のようなところから物語を見てしまう。
史実を正解とした考えに捉われた頭で
登場人物の思考や行動を批判してしまう。


過去の出来事を、俯瞰した高台から見てしまうのは、
昨日まで取り上げていた『落語の聴き方楽しみ方』(松本尚久)で
講談・浪曲の語り口だと書いてあった。


では、三谷氏が言うところの
「俯瞰で描きつつも目線を下げる」とは、
落語の語り口なのかどうかは、どうでもいいことなのだが、
この、「俯瞰で描きつつも目線を下げる」ということばは、
説明の技術を学ぶ上で、いいヒントになった。


大人が、小さなこどもを説得するとき、目線を下げて説明しなければいけない。
そして、こどもを長い時間かけてこどもを育てるためには、
物事全体を俯瞰して、正しい方向に誘導するようにするのが必要だ。


何かを説明するとき、
「相手がこどもだったら、どのように説明したらよいか?」
と思いながら話すと良いかもしれない。