「類似的表現」から「写実的表現」へ

今日も、『落語の聴き方楽しみ方』(松本尚久)から。


落語は、大きく分けて滑稽ばなしと人情ばなしがある。
滑稽話と人情話の対比について解説するに当たり、
著者が、近代芸術についての興味深い分析をしている。

  近代以降に発達した芸術ジャンルは皆、
  最初は滑稽ばなし的な「類似的表現」であったのだが、
  次第に人情ばなし的な「写実的表現」へと移行する道筋を辿っている。

  
  初期の映画はみな短編で、現実ばなれしたコメディや活劇が量産されたが、
  やがて映画の作り手と観客が「成長」するとともに、写実的でシリアスな
  人間ドラマをテーマに据えた作品が造られるようになった。
  短編映画は姿を消し、長編作品が映画の主流になった。


  アニメーションについても、初期の作品は、短編しかなく、コメディた突
  飛なはなしが多かったが、やがて物語性の強い長編アニメーションが製作
  されるようになった。今日では、シリアスで写実的な作品もめずらしくない。
  

今の仕事で、どう自分を売り込んでいくか悩んでいたので、
いいことを聞いた、という気分になった。


マーケティングの本を読んで、
コンセプトが必要、コンセプトを訴えるにはストーリーが一番、
なんて考えに染まっていたから、ステキな物語を探して、
一生懸命に無い知恵を絞って、何も進展しないからすぐに飽きて、
挑戦と挫折の繰り返しだった。


今の自分の能力は、チョッとしたワンフレーズを切り出した
短編、4コママンガしか描けないんだ。
それでも、いろんな短編を量産できればいいのだが、
似たり寄ったりの変わり映えのしない数点をつくるレベル。


それなのに、長編物語にチャレンジしていたから無理があったんだ。


もっと、短編作家としての幅を広げるべきか?
それとも、じっくりと腰を据えて長編作家にチャレンジすべきか?


両者は、同居しない訳ではないから、
まずは、短編作家としての幅を広げていくべきなんだろう。