落語の時間

『落語の聴き方楽しみ方』(松本尚久)を読んでいる。
まだ途中だが、非常に面白い。


内容をちょっと取り上げてみる。


  落語の噺というのは、常に現在進行形である。
  だから、落語は、歴史上の出来事をそのまま取り上げて語るようなことはしない。

  
  物語の時間が、歴史上の時間軸の一部分を切り取って、話が始まるのに対して、   落語は、歴史上の時間とは切離された世界で話しが進む。
  だから、落語では、話しの始まりも終わりもなく、
  流れるプールのように同じところをグルグルと回っている。


  そのような違いから、物語(講談・浪曲を含む)は、
  演者は高い所から見下ろすようにはなしを語り、
  客も高い視点から物事を眺める。
  対して落語では、演者も客も、登場人物と同じ時間の中に居る。


報告会のリハーサルを何回やってもどうもしっくりこない。
内容の貧弱さはしょうがない。
でも、話している内容に、入っていけない。
ウソは言っていないのに。。。。


焦点を絞れば、少しはマシな内容になることは予想がつくが、
それだと時間が余る分、もっとたくさんのネタを仕入れなければならない。


限られた材料で、十分においしい料理を提供してみたい。


余分な贅肉を抱えたままで話しをして、
聞き手に魅力があるものにしなければ、成長できないと思う。


そんなときに、「落語では、演者も客も、登場人物と同じ時間の中に居る」
という文章に出くわした。


何回原稿を音読しても、ただの報告になってしまっている。
それを打開するには、どうしたらよいのか?
落語の手法、現在進行形にすることで解決するのか?
どうしたら、落語の手法を習得できるのか?


原稿を書き上げた時点で、仕事は8割がた終わったつもりになっていたが、
課題はまだまだ山積している。