コミュニケーションはすべて洗脳行為である

昨日、再来月におこなう報告の原稿を読んでいたら、
「話しの展開が、聞き手にとってつまらないだろうな」
と、感じてしまった。
何回も練り直し考えた原稿なのに。。。


・話しの持って行き方にビジョン(目的地)がない、
 ダラダラと事実の記述になっているからか?
・時間を持たせるために、細かいこともいっぱい詰め込みすぎたからか?


どれも原因と考えられるが、対応策が浮かばない。
時系列で、話しを進める形式は、捨てられない。
いろんな事の、経緯をキチンと伝えなければ、今回の報告の意味はない。


そんな悩みで、作業に行き詰っていたときに、
気晴らしに『ぼくたちの洗脳社会』(岡田斗司夫)を再読した。


  「言葉のやりとりは、意図の押し付け合いだ。
   コミュニケーションはすべて意図の強制、洗脳行為である。」


ということばが目に留まった。


もしかしたら、自分には、
「洗脳してやる」という意識が足んなかったのではないか?
遠慮がちに、説明をしようとしていなかったか?
「正確な報告」をを徹底させようとして、無味乾燥した文章を書いていなかったか?


もっともっと、
「相手の思考回路を自分の思い通りにしてやる。」
という、独裁者のように傲慢で、詐欺師のように狡賢い
心構えが必要だったと思う。