不親切な標識・看板

『「分かりやすい表現」の技術』(藤沢晃治)を読んでいる。
以前読んだ、『「分かりやすい説明」の技術』の姉妹編だ。


取り上げている題材が、道路標識や看板などで、
分かりやすく、抵抗なく受け入れやすい。
(たとえ話は、しっくりこないものがあるが。。)


道路標識や看板、広告の類は、
それを利用する者が、一瞬にして判断できるように作成しなければならない。
イラストや、図を使用するのはそのためだ。


文字によって、利用者を案内したりする場合、
文字は2文字〜4文字くらい、短くなければならない。
瞬時に区別、判断できるようにするため。
決して、読ませてはならないのである。
決して、考えさせてはいけないのである。


それなのに、(道路標識などでは特に)読ませる看板や標識が多い。


店の看板、広告や本のタイトルだったら、説明がましくてもかまわない。
わかりづらい言葉が並んでいたら、売上げが下がるだけだ。
でも、道路標識や、案内板は、公共的なもの。
特に、道路標識は、命に係わるもの。
わかりやすさは至上命令のはず。
きっと、責任をとりたくないお役所の体質が、
そんな標識・案内板を生み出す原因だろう。


何とかならないものかと思うが、
こういう不親切なものが巷に溢れているということは、
何かしらの商機なのではないか、と考えいる。