『なぜ日本企業では情報共有が進まないのか』を読んで

『なぜ日本企業では情報共有が進まないのか』(田坂広志)を読んだ。


10年以上前に発行された本なので、
この本の中で著者が述べていることのすべてが
今の時代にマッチングしているわけではない。
10年後の現在が、田坂氏の言ったとおりになったはずもない。


しかし、田坂氏の洞察は普遍的な世界へと、どんどん進んでいくので、
10年前の発言でも、まるっきり色あせることはない。

10年経ってから、初めて田坂氏の著作に触れる自分にとっては、
現在の自分が抱える問題点を、事前に指摘していたと言える。
また、ネット革命が起きてからの15年の間、
世の中の変化に右往左往して、時代の流行り廃りに流されるまま、
上手に説明できない、答えの出せない自分を、わかりやすく解説してくれている。


  これからの企業情報化の嵐のなかで生き残れないのは、「パソコンができな
  いマネジャー」ではなく、「豊かな知識や深い知恵を持たないマネジャー」
  が生き残れないということです。


今までの自分は、「パソコンできる」「CADできる」など、
スキルアップと称して自分自身の能力を、機械性能のように捉えていなかったか?


  「生き残れるマネジャー」と「生き残れないマネジャー」を分けるものは、
  パソコンができるかできないかではなく、「パソコンではとって代われない
  マネジャー」と「パソコンでもとって代われるマネジャー」なのです。


今までの自分の仕事って、努力から逃げていた。
修行しないでも稼げることばかり狙っていた。
だから、誰にでもできる仕事ばかり。
評価されるのは、ただまじめに作業をする、ということだけ。
「パソコンでもとって代われるマネジャー」だ。


だから、何かオリジナリティが欲しくてしようがなかった。
でも、それは物事の表層的な部分ばかりを見て、闇雲にあがいているだけだった。


  ナレッジ・マネジャーとしての心得の第一は、「情報機器の扱いではなく情
  報の扱いに熟達する」ということ。


情報の扱いに熟達するのは難しい。


  
  業務プロセスの効率化、簡略化を目的として、コスト削減や決裁の迅速化を
  進めることは大事なことだが、それに際して「失われる大切な何か」がある
  ことを理解しておかなければならない。


自分は、今まで残ったもの、完成品にばかり目が行き
その途中で失われたもの、割愛された理由などについて、
心を割く気持ちがなかったのではないか?


建物の美しさばかりに見惚れて、
それを支える土台とかを考えていなかったのではないか?


  マネジャーは、電子コミュニティという「手段」を使いこなすだけではダメ、
  それらを使ってメンバーが自発的に情報を提供したくなる「雰囲気」や「空
  気」といったものに満ちた「場」を生み出していかなければならない。


自分は、今までの職場で、皆のための「雰囲気」や「空気」
といったものに満ちた「場」をつくろうと努力してきたか?
尻拭いする面倒を考えて、逃げていなかったか?


  企業社会においては、「言葉にならない知恵」とでも呼ぶべきものが、極め
  て大切な役割を果たしている。


  日本の企業においては、「差別化するための戦略」と「差別化されないため
  の戦略」が、明確に区別されていない。


ゴチャゴチャに捉えていた。ホームページ作成なんて、その最たるもの。


  どれほど優れたデータベースが生まれようとも、どれほど優れたデータ分析
  手法が生まれようとも、最後にそれらのそれらのデータのなかから価値ある
  ナレッジを引き出すのは、人間の持つ高度な能力である直観力や洞察力です。
  最先端の情報システムが導入されればされるほど、ますます「頭を使わなけ
  ればならなくなる」のです。


昨年の今頃は、マーケティングの本を読み漁っていた。
絶対的に正しい、売上げ確実の公式の存在を信じて。
でも、結局は、個人の行動力と覚悟の問題なのだ。


それを備えていない者にとっては、
ややこしい理論はかえって邪魔な存在なのだ。




田坂氏からは、学ぶことが多い。