表現の体力

昨日紹介した、
『おとなの進路教室。』(山田ズーニー氏)の「立脚点」の章で、
山田氏の友達が、ドキュメンタリー映画を撮ったことを書いている。


  その友達は、映画にはまるっきりの素人。
  相談を受けたとき、山田氏は一蹴してしまったそうだ。
  しかし、実際に出来上がった作品を見たら、自分のおせっかいに気づく。


  彼女(友達)は映画で何を訴えたいか、何をわかってほしいかではなく、
  「どんな人間がこの作品を撮るのか」を、作品のスタートで明確に伝えていた。


  「立脚点」


  作品の最後まで、彼女(友達)の立ち位置は、ブレることはなかった。


山田氏は、そんな友達をみて、自己を反省する。


  表現の体力が尽きてきたようなときに、体力がないために、飛躍をしてしまったり、
  自分で自分を煽ったりして、立脚点から、足が離れてしまうようなことを、自覚し、
  反省せずには、おられなかった。


自分も今まで、終始一貫していない自己のスタイルに気づいて、
自己嫌悪に陥るときが多々あった。
なぜ最初と最後でちがってしまったのか、いつ考えを翻すようなことをしたのか、
なぜ、そのような言動をとったのか?


最近、やっとその原因がわかりかけてきた。
何かを発言しなければならない局面で、
自分自身のことばではない発言をしてしまったときだ。
言ってしまった後、ちがってた箇所を修復しようとして、さらに穴を広げてしまう。
だったら最初から黙っていればいいのに、沈黙状態が不安になる。
どうしても、なにかしゃべって気を紛らわしたいという衝動に駆られる。
で、うまい言い回しができないために墓穴を掘る。


こころとかけ離れたことばが、一度自分から離れると、他人の元でちがった形に変わる。


誤解の発生。


誤解されるのが怖ければ、黙っているのが一番だけれど、
黙っていても、何も得るものがない。いい人ね、とは言われるけれど。
では、どうやって一歩を踏み出すか?
山田氏の文を読んで、取り組むべき課題がわかった。
自分には、「表現の体力」がなかったのネ。


だから、表現の体力UP!の基礎トレーニングをしなければならない。
では、どうやって、てのがこれからの課題。