「ギョーカイ的スペック」を凌ぐイメージを植えつける

このブログを書くにあたって、ネタ探しをしようと、
昨晩『ことばに出会う』(島森路子)の、
横尾忠則氏とかとのとインタビューを読み始めたのだが、
ブログネタに結び付けられない感じだったので、すぐにやめた。


積んである本の山にも、宝のありそうな本はなさそうだ。


で、『ぼくたちの洗脳社会』(岡田斗司夫)をめくる。


企業が「売上げの1パーセントを社会慈善事業団体などに寄付する」という行為をしても、
それが社会貢献のイメージに結びつくを考えるのは、あくまで経営者サイドからの見方で、
実際には功を奏しない、と岡田氏は言う。


賢くひねくれた消費者には、宣伝にしか見えない、そこで、これからの社会で求められている
企業像について述べている。


  「 これからの企業は、「なぜ」これをしなければならないのか」、という価値観・世界観
    を明確に示す必要があります。同時にその価値観・世界観に賛同する人には、こういう
    ふうに力を貸してくれ、と具体的に提示する必要もあります。そして、力を貸してもら
    えたら今度は貸してくれた力によって何ができたのか、きちんと報告しなければなりま
    せん。                                     」


岡田氏は、どれだけ自分たちのイメージを植えつけられるか、洗脳競争の時代だという。
企業だけでなく、選挙に立候補する政治家にとっても、それは同じだ。


  「 私たち(若者)にとって自民党だの議員歴何年だの、もとから政治畑で活躍だの、とい
    うギョーカイ的スペックはあまり興味を持ちません。そんなことを聞くくらいなら、ま
    だ「実は恐妻家だ」とか「出身地が東北なのをコンプレックスに思っていて、絶対東北
    弁をしゃべらない」といった話しの方が、よほどその政治家を分かったきになります。   
        ・
    現在はまだまだ選挙前にTVにたくさん出ればいい、程度に考えている人が多いようで
    す。が、単にTVに出て製作を語ればいいという問題ではありません。もちろん、出な
    いよりはうんといいのですが・・・。
    政策ではなく、自分の人となりをいかにプラスイメージとして多くの人に提示できるか、
    という高度に技術的・演出的問題となります。自分がいかに政治家として魅力的かをう
    まく洗脳する必要がある、ともいえます。                     」
  

政治家の経歴を「ギョーカイ的スペック」と表現しているのは、さすが。わかりやすい。
これからは、経歴・経験が第一の時代ではない。それを凌ぐ自分のイメージを
どう提示できるか、が課題だ。