次の展開を想像する

『ことばに出会う』(島森路子)で、是枝裕和氏の章を読んだ。


是枝裕和氏の名前は初めて知った。
1962生まれの「誰も知らない」などの映画監督。
「誰も知らない」は、題名だけしか知らなかった。


1962生まれということは、私と同年代だ。


フジテレビのドキュメンタリーを製作するのに、
憲法9条を題材に選んだことへの質問が、インタビューの内容だ。


同年代として、自分の世代に対する観察など、
今まで自分の中でモヤモヤしていたものを、言葉で表現してくれた箇所が多い。


  「 僕ら以降の世代が持ってしまった「現実肯定傾向」というものを突き動かしていかない
    と、それこそなし崩し的に「保守」になってしまう。「日本人が死ぬ代わりにイラク
    人が死ぬのなら、それはそれでしかたのないんじゃないの」という話になってしまう。  」


  「 世論調査のやり方にも疑問を感じているんです。ちゃんとものごとを考える方向を提示
    していないというか。例えば北朝鮮経済制裁の問題にしても「北朝鮮に対して経済制
    裁すべきですか」と単純に聞いてしまう。そうすると「すべきだ」という人が八割くら
    いいる。「八割賛成」で終わりです。そこで、例えば (省略) 「現体制が暴力的に
    壊されると難民が何十万人も二本に流れこんできますが、彼らを受け入れる覚悟はあり
    ますか」という質問の仕方をすれば、最初に「経済制裁すべきだ」と答えた人の思考が
    どんどん深まっていくはずじゃないですか。そうなったとき着地する場所は、最初にた
    だ質問したときの回答をひっくり返す可能性もあると思うんです。聞かれた側が五十年、
    百年の単位で過去と未来を参照しながら思考を深めていくような、そんな問いでなけれ
    ば意味はないと思います。                             」


ニュースで流れている時事問題について考えるとき、
たよるべき情報が偏っていないか、という疑問を持ちながら、判断をしているつもりではある。
自分から遠く離れたニュースには、悲惨な事件でも感情的になってないつもりだ。


しかし、次の展開を想像しながら考えてはいなかった。まるっきり。