ブログ「言戯」を見て
本で紹介されていたブログ「言戯」を見た。
イラストのブログである。文章は、ほとんどない。
イラストは、3〜4コマ。
内容は、作者の日々の生活を絵にして、そのときどきに感じること、思うことを吹き出しなどに書いている。漫画のようなオチはない。
でも落ち着いた独特のタッチからは、安心感のような雰囲気が伝わってくる。続けて読みたくなり、ついついカレンダーの中でまだ見ていない日をクリックしてしまう。
このブログを紹介していた本『ブログ進化論』で、コンテンツブログのことを取り上げていた。
しっかり読み込んでいないので、今ここで書評をするつもりはないが、コンテンツについては、もっと、真剣に考えなければいけない。自分のために。
最近、自分の仕事の営業開拓のために、マーケティングの本(ほとんどハウ・ツーもの)を読んでいるが、最後にしっくりきたのが「コンテンツ・マーケティング」や「コミュニティ・マーケティング」「協働型マーケティング」などであった。
このうち、「コミュニティ・マーケティング」「協働型マーケティング」が、自分にとっての一番の理想形という考えに至った。だが、糸口が見えない。どのように自分用にカスタマイズすればいいのか良いアイデアが浮かばない。
「コンテンツ・マーケティング」は、レベルが高すぎて、何に対してもこだわりがなく、根性もない自分にはいくらあがいても不可能なもの、ととらえていた。そこには、コンテンツ =(イコール) キャラクターや映画、バイクなど嗜好性の強いもの、という概念があるからだ。
独自の世界を突き進むプロフェッショナルな気概を知るたびに、劣等感に苛まれてしまう。
釣り好きの情報提供にしろ、模型マニアのこだわりにしろ、一朝一夕には太刀打ちできないような経験をもった人や、ただ一人孤高の道を志す者でないと構築できない世界だと。
しかし、「コンテンツ・ブログ」の説明を読んで、「コンテンツ」ということばの領域の広さを認識した。
別に、こだわりなんかなくてもいいんだ。「法律勉強しています」とか、「わが子の成長日誌」とかもコンテンツだったんだ。
ただし、読み物としては、そこに「勉強にかける熱い気持ち」「将来の夢」「あふれる愛情」など、一本、筋になるようなものが必要だ。これは、ことばとして語られている必要はない。結局は、その筋になっている作者の「情熱」「愛情」などがコンテンツなのだから。
そのような作者の内面の気持ち、情熱、愛情のない文章は、面白いエピソードなどがあっても、ただの”記録”でしかない。そんなものは所詮、一過性のものである。