コミュニケーション能力について

11/2に書いた『イメージとマネージ』の本の中で、平尾氏は、
「チームコーチは、コミュニケーション能力に長けていないといけない」
というようなことを言っていた。


また、11/3の記事に載せた『指一本の執念が勝負を決める』の
著者,冨山和彦氏も、会社の経営をしていく上で、
コミュニケーションの重要性を説いていた。
有名大学出身のエリートコースに乗ってきて、
そのまま経営幹部になった人間は、コミュニケーション能力が劣る、と。


”エリート = コミュニケーション能力が劣る”という図式は
乱暴すぎて受け入れられないが、他人のことを嘲っていても意味がないので、
自分自身のコミュニケーション能力について考えてみる。


コミュニケーション能力が、自分に不足しているのはずっと前からわかっている。
コミュニケーションの能力がないというより、他人と係わることの煩わしさから逃げている。


他人と話をするのは疲れる。


何かを一緒に作り上げるとか共同作業のときは
自分と相手が同じ方向を向いているから
意見が合わないときも妥協点を探しやすい。


でも、対立しているときは辛い。交渉ごとは苦手だ。
話す内容、話す順序から、一言一句、息遣いまでに神経を使わなければならない。


対立状態ではないバラバラ乱立しているときに、
協力を要請したりお互いを結びつけるコミュニケーションも難しい。
第一印象が悪いと、すべてに後手を踏む。
かといって最初が好印象でも、それをキープできなければ相手は幻滅するだけ。
幻想を描いていた人が幻滅するのは、頂上から谷底まで一瞬の直滑降だ。
火事や大地震で人命救助というような、ドラマチックなことでもない限り回復は困難。


コミュニケーションが上手な人は多い。達人の域に達している人もいる。
そういう人たちと、自分とはどう違うのか?


達人たちは、コミュニケーションを根っから楽しんでいる。だから、苦悩もない。

それに比べ自分は、自分の考えを述べるときに、
”話している自分が相手にとってどう見えているか?”
という不安で頭がいっぱいになってしまう。


自分の思い描くイメージが弱いから集中力が切れるのか?


そして、不安が心を支配し、集中力が途切れると
”そんな苦労を続けるよりは、一人の世界に没頭した方が楽だ”
と思ってしまう。


でも、そのような逃避行動をやめて、毅然として対峙しないと、
毎日身の周りに起こることに対処できなくなる。


”コミュニケーションがうまくなるためにどうしたらいいか”
についての考証は、別の日に。