思考すること

ブログに何を書いたらいいのかパソコン眺めながら悩んでいる日が多いので、
何かテーマを決めてみようと思い至った。
『エッセイ脳』の著者、岸本葉子氏がエッセイ執筆を依頼されるとき、
ほとんどの場合でテーマをもらうと書いていたから。
浅はかかもしれないがテーマが決まっていれば、
書き出しとか話しの進め方に悩まないんで委員じゃないか、と思った。
                
思いつくまま、身の周りのことを書き出してみる。
「最近のTV番組」「読書の効果」「自己啓発本」「記憶力」「レンタルビデオ
どうもテーマとするのに馴染まないものが多いような。。。
ニュースで流れている話題を拾ってみる。「猛暑」「円高」「民主党代表選」。
円高や代表選なんて文を書けない。「猛暑」については、もう取り上げている。
                     
普段、身の回りのことについて、あまり観察していない。
また、世情についても自分に直接関係ないと、他人事のようにしか感じないから
いきなりテーマを決めても意見なんて出てこない。
                
本当は、「円高」については、結構関わることだし、
民主党代表選」についても、応援する政治家がいるいないはなしにしても、
一票を持つ有権者として、個々の政治家に対して
厳しい目を注いでいなければいけないのだけれど、
答えの出ない事柄にはついつい、疲れてしまう。
                      
どうしても、分かりやすい答え、善悪ハッキリした事件、に気持ちが行ってしまう。
そんなときの自分は、ただの野次馬。何も考えていない。
悲惨な目にあった被害者に同情したり、気に入らないコメントにイライラしたり。
                       
感情的になった時、客観的になれたら、もっと思考の輪は広がるだろう。
自分がなぜ、どこに、同情したりイラついているのか、
三者のように少し離れたところから眺めることができたなら、
ことばにならない気持ちを持て余してしまうことはなくなると思う。